産まれた子供は、障がいを持っていました。

「お子さんに奇形が見られます。」わが子が産まれて、先生から始めて言われた言葉に頭は真っ白になりました。

左腕が人とは違う、わが子との対面

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前々回のブログの続き。

sami-blog.hatenablog.com

 

「お子さんに奇形が見られます」

 

先生からそう告げられ、僕の頭は真っ白に。

何も考えられる状態ではない僕に、先生がさらに口を開く。

 

「左手と左耳に奇形があります」

そう言って先生はわが子に掛けられたタオルをめくる。

 

真っ白な頭になった僕の目に入ったのは、初めて見るわが子の姿。

 

わが子の身体には、普通ならあるはずのものが無かった。

左手の、肘から先が、無かったんです。

 

正確には、左肘から先が無く、普通の半分ほどの手のひらに指が二本だけついている状態だった。

 

耳は、後から気付いたのだが、よくある副耳だった。

 

待ち望んでいたわが子の誕生。

それなのに、素直に喜べない自分に嫌気が差した。

 

わが子は何も悪くないのに。

一生懸命生まれてきたのに。

 

「嫁は知っていますか」

 

一言目がコレ。昔に戻れるなら、戻って自分をぶん殴ってやりたいと今なら思う。

 

「がんばったね」とか「産まれてきてくれてありがとう」とか、

わが子にかける言葉なんて山ほどあったはずなのに、

僕は、嫁にどのように告げればいいか、どのように話せばいいかなんてことを考えていた。

 

「お嫁さんは酷く疲れていますので、お子さんのことは夜があけてから告げた方がいいと思います。」

 

先生はそんなことを言っていた。

 

僕は、わが子を抱くことなく、病室を後にした。

 

控え室には、嫁の母が待っていた。

嫁の母には事実だけを伝え、僕と嫁だけで一夜を過ごさせてほしいとお願いした。

 

嫁の母は泣いていた。それは、娘である僕の嫁の気持ちを気遣った涙だった。

嫁の母は僕のお願いを受け入れ、僕は嫁の病室に向う。

 

嫁に早く会いたいという気持ちは強かったが、正直、足取りは重かった。

 

次のブログでは、その時の話を記載したいと思う。

 

 

振り返ってみて

 

前記事に記述した通り、「障がいを持った子がうまれたらどうする」なんてことを話していたのに、僕はどこかで五体満足で生まれてくることは当たり前だと思っていたのだろう。

また、経過は順調だという先生の話を聞いて、さらにエコーでもそれらしいものも映っておらず、何も問題無いと勝手に認識していたのもある。

 

それもあって、僕はその時激しく動揺していた。

 

ただただわが子の将来のこと、そしてその現実を突きつけられる嫁のことを心配していた。

 

身体のことを見つけられなかった病院に対しては、これっぽっちも不信感はない。

一生懸命汗を拭いてくれた助産師さんや先生も、新しい命に真剣に向き合ってくれていたと思うから。

それに、僕たちはきっと産まれる前に分かっていたとしても結果は同じだったと思う。

 

結果論に過ぎないが、1年経った今も病院には感謝している。