障がいの事を告げられた知人の反応。
僕自身の両親、そして友人に子供が生まれたことを告げる。
なんて話せばよいか。
子供の身体のことを伏せたほうがいいのか。
いや、僕なら親しい仲なら全て教えてほしい。
そう思って、ありのままを伝える。
親しい友人も、両親も、今日生まれるであろうことは告げていた。
みな、一言目はお決まり。
「産まれた!?」
そして僕は答える。
「産まれたよ。でも、五体満足で生まれることはできなかった。」
そう伝える僕自身は、不思議と冷静だった。
思うところはあるし、不安定だったとも思うけど何も臆することなく普通に話せたのが以外だった。
「・・・」「嘘でしょ!?」
反応はだいたいこんな感じ。
そりゃそうだよね。でもね、ホントなんだよね。
しかし、みんな最後には
「おめでとう」
そう言ってくれた。
それが嬉しくて嬉しくて、僕は真っ先に娘に会いに行った。
「みんなおめでとうって言ってたよ」
娘は、スヤスヤと眠っていたけども、気にせず僕は娘に語りかける。
あなたは産まれてきてよかったんだよ。みんな祝福してくれてるよ。
そう思えるのがたまらなく嬉しかった。
僕の友人の奥さんと話した内容なのだが、とても素敵な言葉がある。
「産まれてくることが奇跡。もしかしたら、何か異常があるとお腹にいるときに亡くなってしまうことは多いと思うの。」
「それでも産まれてこれたのは、赤ちゃんが生きようとしたこと、何よりお母さんとお父さんががんばったから。」
「何も恥ずかしがることは無い。五体満足で産んであげたかったとも思わなくていい。今の姿でなければ、それは性格も人生も違う子になってしまう。」
「今、そこに産まれた子を真っ直ぐ見てあげて」
この言葉はね、是非同じ境遇の人に伝えてあげたいと思う。
今も自分の中の弱い部分を支えてくれている言葉です。
次のブログは、初めての子育てについての話を書こうと思う。
そして束の間、新たな問題でどんどん追い詰められていくことに。
振り返ってみて
両親/知人に電話をすることは、難しかったが苦じゃなかったのは、もちろん信頼できる相手だったこともあるが、嫁の反応を見ていたことが大きかったとも思う。
皆、気遣って必死に励まそうとしてくれる気持ちはとても嬉しかった。
しかし、あの時の僕には、正直な話 響かなかった内容もおおかった。
「それは一つの個性だよ」
「育てられる温かい家庭だから、そういう子が産まれたんじゃないかな」
かもしれない。けど、そうじゃない方が絶対いいよね。
別に僻んでいた訳ではない。ただただ、娘の将来が不安だっただけ。
言葉は嬉しいよ。けど、娘は大きくなったとき、その言葉で納得がいくのかな。すべてが娘目線で物事を考えていた為、素直に喜べない自分がいました。
そんな中、先に書いた友人の嫁の話がとても響いた。
特に、この部分。
「今の姿でなければ、それは性格も人生も違う子になってしまう」
一年経った今現在も、僕たちはいろいろな病院に通っている。
そこで、娘はいろいろな検査を繰り返している。
ハイハイも出来なければ、両手でパチパチ拍手することもできない。
両手でマグカップを持って飲むこともできなければ、両手で遊ぶことも出来ない。
それでも、少しずつ大きくなって、僕たちに微笑みかける。
「ママ」と言ったり、「わんわん」と言ってみたり。
「いいかげん“パパ”も言いなさい」と僕がスネて、嫁が笑っていたり。
今幸せなんですよ。今の娘じゃなきゃだめなんです。
でもその時に、「五体満足だったらな」なんてことは思わない。
今の娘に障がいがあるのなら、僕たちはそのままの娘を真っ直ぐ見て受け入れよう。
あの言葉が心の支えとなって、僕たち家族は強くなっているのだと思う。