産まれた子供は、障がいを持っていました。

「お子さんに奇形が見られます。」わが子が産まれて、先生から始めて言われた言葉に頭は真っ白になりました。

自分が知らない世界へ。心身障がい者センター。

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こんにちわ。

 

久しぶりのブログ更新です。

今日は、心身障がい者センターへ行った話です。

 

先日書いたブログの通り、娘は総合病院からの紹介状で脳のMRI結果の診断をしてもらうために、家から1時間半ほどの心身障がい者センターへ向かう。

 

病院へ着くと真っ先に目に入ってきたのは

 

片足が義足の女の子だった。

 

その女の子は、嬉しそうにお父さんに抱っこをせがむ。

そして、そのお父さんはニッコリと抱きかかえていた。

 

また、辺りを見回すと、目が見えない子、耳が聞こえない子、寝たきりの子、そして左手が無い我が娘がいた。

 

そう、ここは心身障がい者センター。

 

何かしらの障がいを持った子が集まる場所。

 

おそらく、僕は娘が生まれなかったら見る事が無かった世界だろう。

何不自由なく育ってきた自分が、どれだけ幸せなのかを知った瞬間でもあった。

 

見下している訳ではない。かわいそう、だと思ったわけでもない。

そこにいる子供も親も、精一杯愛情を受け、そして愛情を注いでいるように見えた。

 

ただ、「どうして我が子だけが重荷を背負って生まれてきたのか」という気持ちが少し和らいだのは事実。

 

僕はそこにある笑顔に心は救われていたのだろう。

 

僕たち家族も、あの場で見た笑顔を娘にも見せてもらいたい。

心からそう思っていた。 

 

 

そして、いよいよ娘の健診が始まる。

 

脳に映った白い影を専門医の先生に診てもらう。

 

そして結果なのだが、

 

「不明」

 

先生からは、CTを撮るかどうかの選択をせまられる。

 

CTはさらに強い放射線を使うことになる。

新生児にはまず使わない機械である。

 

先生は続けて言う。

 

「何が原因か分からない。何も問題ないかもしれない。でも、CTを撮れば詳しいことはわかる。逆にCTを撮らなければ分からない急を要する病気だった場合手遅れになる可能性もある。」

 

そして僕たちが選択したのは

 

CTを撮らないという選択。

 

細かく言うと、成長に問題が見られたらCTを撮るという事だった。

 

いやいや、何かあれば撮るべきだろうという見解もあるが、このとき娘はまだ1か月も経っていない。

 

検査漬けの小さな体を休めてあげたいという気持ちが強かったからだ。

 

僕と嫁は、心のモヤモヤが消えぬまま、我が家に帰る。

帰り道娘は安らかな顔をして眠っていた。

 

 

 

次は、娘の左手のことをまとめます。

 

 

ふり返ってみて

障がい者との触れ合いがあるか。

と聞かれると、多くの人はYESと答えるだろう。

 

僕ももちろんその一人である。

小学校同じクラスであったり、車いすで移動する人と出会ったり。大企業なんかは、障がい者採用枠なんてあったりする。

 

しかし、僕は知っている気になっているだけで、実際、何も知らなかった。知ろうとしなかった。

 

そんな中、障がいを持った子どもが生まれて、僕は先天性の病気を山ほど調べた。

その中には、僕のしらない病気は調べきれないほどあった。

 

中には、生まれた瞬間余命を宣告される病気もある。

 

それは、僕の娘が先天性の病気を持って生まれてきたからこそ知った事である。

 

僕たちが社会で働くこの世界は一見当たり前のように見えるが、見えないところで自分の知らない世界がある。

 

押しつけがましい話かもしれないが、僕はそれを皆に知ってほしいと思ってしまった。

そういう世界があるという事を知ったから。

 

んー、違うな。まとめるのが難しい。

 

何かしてほしいというわけではない。気をつかってほしいとかでもない。

 

そういう家族にも笑顔があって、人生があって。

 

そんな世界も、皆が生きる世界と平等に、同列に見てもらえるとうれしいと思う。

 

これは僕の娘の将来を願ってのことで思った内容です、自分勝手ですね。

 

 

あなたは、かわいそうな人間ではない、堂々としていればいい。

胸を張って生きていける社会であるように、僕は皆にこの世界のことを知ってほしいのだと思う。

 

まとまりが無くて申し訳ない。