産まれた子供は、障がいを持っていました。

「お子さんに奇形が見られます。」わが子が産まれて、先生から始めて言われた言葉に頭は真っ白になりました。

嫁に辛い現実を突きつける。その時嫁は・・・

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痛みに歪む顔はもう無かった。

 

10ヶ月間大きかったお腹ももう無かった。

 

「がんばったね」

 

という僕の言葉に対して

 

「がんばったんだよ」

 

と嫁は笑って見せた。

 

そして僕はその時、どのように産まれた子供のことを伝えればよいかを必死に考えていた。

 

「赤ちゃん抱っこした?可愛かった?」

何も準備できていない僕に、嫁はにっこり尋ねる。

 

とっさによぎる先生のあの言葉。

>「お嫁さんは酷く疲れていますので、お子さんのことは夜があけてから告げた方がいいと思います。」

 

「抱いた、可愛かった!」

僕は嘘をついた。本当は、抱いていないのだ。

 

「いいなぁ」

嫁は羨ましそうに天井を見ていた。

嫁は帝王切開だったため、下半身はほぼ固定具のようなもので固められていた。

 

それから少し休もうと話し、僕は嫁を背にソファーで横になっていた。

 

そして、早朝5時くらいか。

 

結局僕は一睡も出来なかった。

嫁も興奮していたのか早く子に会いたい一心で起きていたそうだ。

 

そして僕は、子供の身体のことを話す決心をする。

 

重い口を開こうとする。

しかし、声より先に涙がこぼれ落ちる。

 

止まれ。という自分の思いに反して涙は止まらなかった、

そんな僕を見て、嫁は戸惑いながらも、何かを察したのか黙って待ってくれていた。

 

「僕たちの赤ちゃん。無事に産まれてきてくれたんだけど、左手がなかったの。ひじから先がなかったの。」

 

嫁は涙を流しながらうなずいていた。

 

「赤ちゃん元気なんだよね?」

 

嫁は身体のことよりも、赤ちゃんの命の心配していた。

赤ちゃんの無事を確認すると、嫁は僕に対して優しく語りかける。

 

「一人でかかえてたんだね。ごめんね。ありがとう。」

 

その言葉を聞いて、僕はさらに泣き崩れた。

 

 

次回は、嫁と赤ちゃんのご対面について書こうと思う。

 

 

振り返ってみて

僕が嫁を支えねば。

勝手にそうやって思っていましたが、そんなことないんですね。

勝手に気負うのではなく、家族なんだから嫁にも頼って支えあえばいい。それが夫婦だということを痛感した日でもありました。

 

あれから1年経った今も支えられることは多いです。

嫁は母として強くなり、子供の身体のことで周りの目を気にせずにいつも堂々としています。そんな嫁を僕は今でも尊敬しています。

 

そんな嫁だからこそ、今も笑顔溢れる家庭なんだと思います。

左腕が人とは違う、わが子との対面

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前々回のブログの続き。

sami-blog.hatenablog.com

 

「お子さんに奇形が見られます」

 

先生からそう告げられ、僕の頭は真っ白に。

何も考えられる状態ではない僕に、先生がさらに口を開く。

 

「左手と左耳に奇形があります」

そう言って先生はわが子に掛けられたタオルをめくる。

 

真っ白な頭になった僕の目に入ったのは、初めて見るわが子の姿。

 

わが子の身体には、普通ならあるはずのものが無かった。

左手の、肘から先が、無かったんです。

 

正確には、左肘から先が無く、普通の半分ほどの手のひらに指が二本だけついている状態だった。

 

耳は、後から気付いたのだが、よくある副耳だった。

 

待ち望んでいたわが子の誕生。

それなのに、素直に喜べない自分に嫌気が差した。

 

わが子は何も悪くないのに。

一生懸命生まれてきたのに。

 

「嫁は知っていますか」

 

一言目がコレ。昔に戻れるなら、戻って自分をぶん殴ってやりたいと今なら思う。

 

「がんばったね」とか「産まれてきてくれてありがとう」とか、

わが子にかける言葉なんて山ほどあったはずなのに、

僕は、嫁にどのように告げればいいか、どのように話せばいいかなんてことを考えていた。

 

「お嫁さんは酷く疲れていますので、お子さんのことは夜があけてから告げた方がいいと思います。」

 

先生はそんなことを言っていた。

 

僕は、わが子を抱くことなく、病室を後にした。

 

控え室には、嫁の母が待っていた。

嫁の母には事実だけを伝え、僕と嫁だけで一夜を過ごさせてほしいとお願いした。

 

嫁の母は泣いていた。それは、娘である僕の嫁の気持ちを気遣った涙だった。

嫁の母は僕のお願いを受け入れ、僕は嫁の病室に向う。

 

嫁に早く会いたいという気持ちは強かったが、正直、足取りは重かった。

 

次のブログでは、その時の話を記載したいと思う。

 

 

振り返ってみて

 

前記事に記述した通り、「障がいを持った子がうまれたらどうする」なんてことを話していたのに、僕はどこかで五体満足で生まれてくることは当たり前だと思っていたのだろう。

また、経過は順調だという先生の話を聞いて、さらにエコーでもそれらしいものも映っておらず、何も問題無いと勝手に認識していたのもある。

 

それもあって、僕はその時激しく動揺していた。

 

ただただわが子の将来のこと、そしてその現実を突きつけられる嫁のことを心配していた。

 

身体のことを見つけられなかった病院に対しては、これっぽっちも不信感はない。

一生懸命汗を拭いてくれた助産師さんや先生も、新しい命に真剣に向き合ってくれていたと思うから。

それに、僕たちはきっと産まれる前に分かっていたとしても結果は同じだったと思う。

 

結果論に過ぎないが、1年経った今も病院には感謝している。

 

36時間の悲鳴が頭の中を駆け巡る。

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陣痛~出産までの話。

 

予定日から1週間が過ぎていた。

 

嫁は初産のため、どの痛みが本陣痛なのかも分からない。

8日目に嫁は入院することとなった。

 

「大丈夫だよ」

 

そんな根拠も無い言葉をいくつか並べて嫁を安心しようとさせるが、

内心はタジタジ。

 

全てを見透かすかのような顔で嫁は笑っていた。

 

そして、陣痛誘発剤の使用が開始された。

 

陣痛誘発剤に苦しむ嫁

仕事を早めに切り上げ、病院に向う僕。

仕事中も気になって度々LINEを送った。そして2分おきくらいに携帯を気にしていた。

 

嫁はいつも明るくLINEを返してくれていた。

 

病院につくと、LINEで受けた印象とはかけ離れた嫁の姿。

 

調べてみると、陣痛誘発剤は通常陣痛よりも痛いらしい。

 

心配をかけないようにと明るくLINEを返してくれていたのだろうが、本人はかなり痛みと戦っていたのだろう。

 

そんな痛みとは裏腹に、本陣痛はまだ来ない。

お医者さんは嫁と僕に言い放つ。

 

帝王切開を視野に入れます。」

 

お医者さんからの言葉に、嫁の顔はあきらかに歪んでいた。

 

自然分娩に拘る嫁と現実

妊娠中、帝王切開の脊髄注射に対して異常なほど拒否反応を示していた嫁。

理由は恐怖心からということであったが、それも立派な理由だと思う。

 

帝王切開の場合、脊髄注射を行うのだが一歩間違うと死んでしまう可能性があるとお医者さんから説明があるからだ。

 

帝王切開という言葉を聞いて焦る嫁。

気付けば12時間経っていた。

 

ただただ、誘発されている人工的な陣痛に苦しんでいる。

数十分おきにくる陣痛のたびに、嫁の表情は曇る。

 

先生は、たまに病室を訪れては

 

「まだかかるね」

 

という言葉だけを残して去っていく。

 

嫁にもう笑顔を作る余裕は無かった。

 

決断を迫られる

陣痛が始まってどれくらいだったか・・・。

おそらく30時間くらいだったと思う。

 

嫁の体力が限界なので、無痛分娩に切り替えてはどうか、との提案を受ける。

 

無痛分娩も脊髄注射が必要となる。

しかし、嫁は冷静な判断ができない状態だったため、先生は僕に承諾を求めた。

 

嫁が望む自然分娩で強行するか、嫁が拒否していた脊髄注射の無痛分娩にするか。

 

僕は、無痛分娩を選択することにした。

 

それは、嫁のためなのか、僕のためなのか。

今となっては覚えていないが、一刻も早く苦しむ嫁を開放してあげたい一心だったと思う。

 

脊髄注射は簡単に打てるものでもなければ、厳重な注意が必要である。

その為、僕と嫁の母は部屋を出された。

 

ここからが地獄。

 

扉越しに嫁の叫び声が聞こえる。

 

何度も、何度も。僕は耳を塞ぐことなく扉の前でうつむいていた。

 

出産ってどこもこんな感じなのかな。
だとしたら本当にどこの家族も、奇跡だと思った。

 

2回目の決断を迫られる

 脊髄注射を無事終えた嫁の目は赤かった。

相当痛かったのだろう。がんばったね。

 

少し痛みが和らいだのか、嫁の顔にも少し笑顔が戻った。

 

効果はたったの2時間。

 

あんなに痛い想いをして、痛みが和らいだ時間はたった2時間だけだった。

嫁はまた、陣痛のたびに身体をくねらせ、陣痛の痛みを示す数値は常にMAX値を超えていた。

 

そして、先生は僕に話しかける。

 

「36時間ほど経ちました。赤ちゃんの心拍も低下してきています。帝王切開で出産しましょう。」

 

今までの苦労は何だったんだ。

僕はそんなことを考えた。

 

この陣痛に意味が無かったとは思わない。

でも結局はここまで痛みに耐える必要があったのか。

早く僕から提案してあげれば、嫁はここまで苦しむことはなかったのに。

 

そんなことを考えていると、 

嫁は冷静に声をかけてきた。

 

「赤ちゃん苦しんでるかもしれない。早く出してあげてほしい」

 

そう言った顔は力強く、一年経った今でも忘れない。

もうすでに母の顔になっていた。

 

そして、無事子供は帝王切開で生まれた。

へその緒が短かったのが原因だったかもしれないとのことだった。

 

後から聞いたのだが、嫁は生まれた瞬間に、タオルに包まれたわが子の顔を

チラッとだけ見せてもらい、直ぐに引き離された。

 

その理由のブログは次のブログに記載します。

 

振り返ってみて

自分が生まれてから今までで一番精神的にしんどいと言っても過言ではないくらいの時間でした。

泣き叫ぶ嫁に対して、ただ手を握ってあげることしかできない無力感。

さらに、脊髄注射なんて外に出されて叫び声だけしか聞こえないとかね、まさに地獄。

このまま嫁は死んでしまうのではないか?と思ったほど。

 

何度耳を塞ぎたくなったことか。

それでも嫁の頑張っている声を聞こうと扉の前で耐えていましたが、もうほんと辛かった。

女の人は、子供が生まれると痛かったことなんて忘れるというそうですが、旦那は違いますよね。

一年経った今でもあの時の嫁の辛い顔が忘れられません。

 

今の幸せは、あの時の嫁のおかげでもあるので、旦那としては感謝の気持ちでいっぱいです。

「お子さんに奇形が見られます」僕の頭は真っ白に。

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緊急帝王切開になったため、控え室で僕と嫁の母が待機となった。

先生は産まれたら連れて行きますと言っていたはずなのに

 

僕と嫁の母だけしかいない控え室の 内線電話が鳴った。

嫌な予感がしつつも、恐る恐る電話にでる。

 

「旦那さんだけ赤ちゃん室に来てください。」

 

僕だけが呼び出された。

 

部屋に入ると、先生はたんたんと語りだす。

 

「奥さん、強い薬や病気はありましたか?」

 

僕にはその時、ちゃんと答える余裕が無かった。

 

動揺している僕の顔を横目に、先生は変わらぬ口調で話し出した。

 

「お子さんに奇形があります」

 

そして、僕の頭は真っ白に。

 

 

 

< 話は生まれる前まで遡ります >

 

子供に障がいがあったらどうする?

結婚してから子供を授かるまで、僕は嫁と子供に対して意見は対立していた。

 

  • 暫くは夫婦2人でいろいろな所に行って遊びたいという僕。
  • 子供はいつできるか分からないから直ぐにでもほしいという嫁。

 

話はいつも平行線だったがひょんなことで結論が出ることに。

 

 

僕は嫁に何気なく問いかけたことがある。

 

「もし、子供に障がいがあったらどうする?」

 

嫁はそのことを覚えていなかったが、僕はハッキリと覚えていた。

 

「障がいがあったとしても、私は受け入れる自信があるよ」

 

 嫁は、考える間もなく答えたのが印象に残っている。

その言葉を受けて、僕は嫁の意見を受け入れることにした。

 

程なくして、すぐに嫁は子供を授かった。

 

先に記載した、わが子である。

 

 

 振り返ってみて

「子供に障がいが見つかったらどうするか」そんな話をする夫婦は多いのかな、少ないのかな。

僕たちはこの話し合いを、軽くではありますがやってよかったかなと思っています。

(嫁は覚えてないけど。)

 

相手が、命に対してどれだけ真剣に向き合っているのか、考えているのかが見えるからです。

 

仮に、命を身ごもった後に、その子に障がいがあることを告げられたとして、どうするのかを直ぐに考えるなんて余裕は無いと思います。

答えを引き伸ばせば、それだけリスクも増えるのでどんどん焦っていくと思います。

 

僕は産むも中絶するも、その家族の自由だと思います。

ただし、しっかりと話し合っていればの話です。

 

後になって後悔することないように、一度話しておくべきではないでしょうか。

はじめましてのブログ

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はじめまして。

 

少し強めなタイトルやサブタイトルでお気を悪くされた方は大変申し訳ありません。

 

昨年に産まれたわが子が1歳を迎えて落ち着いてきたので

 

そろそろ僕自身が何を考えたていたのか。

どのような心境の変化があったのか。

 

議事録的にはなりますが、書き記しておこうと思います。

 

勝手に日記でも書いてろ と思われる方もいらっしゃいますが、

 

僕自身、障がいを持った子が産まれた瞬間 強烈な孤独感を感じていました。

 

なぜ、僕たちの子だけが。なぜ。・・・なぜ。

 

そんな時に、障がいを持つご両親が運営しているブログを見て、

とても心の支えになりました。

 

 

産まれた子供に何かしらの障がいがある確率は、妊娠適齢期でも1/1000ほどあるそうです。

実際に僕たちも嫁が27歳、僕が29歳のときに授かった命で、

お医者によると、わが子の症状は1/100000の確率だそうです。

 

 

確率で見ると低いですが、言い換えれば1000人に1人、自分の子で言えば100000人に1人は必ず産まれるとも言えます。

 

 

このブログが、そんなご両親の心の支えになれれば。

また、そのような家庭がある事を知ってもらえれば。

 

そんな気持ちで更新していきたいと思います。