産まれた子供は、障がいを持っていました。

「お子さんに奇形が見られます。」わが子が産まれて、先生から始めて言われた言葉に頭は真っ白になりました。

自分が知らない世界へ。心身障がい者センター。

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こんにちわ。

 

久しぶりのブログ更新です。

今日は、心身障がい者センターへ行った話です。

 

先日書いたブログの通り、娘は総合病院からの紹介状で脳のMRI結果の診断をしてもらうために、家から1時間半ほどの心身障がい者センターへ向かう。

 

病院へ着くと真っ先に目に入ってきたのは

 

片足が義足の女の子だった。

 

その女の子は、嬉しそうにお父さんに抱っこをせがむ。

そして、そのお父さんはニッコリと抱きかかえていた。

 

また、辺りを見回すと、目が見えない子、耳が聞こえない子、寝たきりの子、そして左手が無い我が娘がいた。

 

そう、ここは心身障がい者センター。

 

何かしらの障がいを持った子が集まる場所。

 

おそらく、僕は娘が生まれなかったら見る事が無かった世界だろう。

何不自由なく育ってきた自分が、どれだけ幸せなのかを知った瞬間でもあった。

 

見下している訳ではない。かわいそう、だと思ったわけでもない。

そこにいる子供も親も、精一杯愛情を受け、そして愛情を注いでいるように見えた。

 

ただ、「どうして我が子だけが重荷を背負って生まれてきたのか」という気持ちが少し和らいだのは事実。

 

僕はそこにある笑顔に心は救われていたのだろう。

 

僕たち家族も、あの場で見た笑顔を娘にも見せてもらいたい。

心からそう思っていた。 

 

 

そして、いよいよ娘の健診が始まる。

 

脳に映った白い影を専門医の先生に診てもらう。

 

そして結果なのだが、

 

「不明」

 

先生からは、CTを撮るかどうかの選択をせまられる。

 

CTはさらに強い放射線を使うことになる。

新生児にはまず使わない機械である。

 

先生は続けて言う。

 

「何が原因か分からない。何も問題ないかもしれない。でも、CTを撮れば詳しいことはわかる。逆にCTを撮らなければ分からない急を要する病気だった場合手遅れになる可能性もある。」

 

そして僕たちが選択したのは

 

CTを撮らないという選択。

 

細かく言うと、成長に問題が見られたらCTを撮るという事だった。

 

いやいや、何かあれば撮るべきだろうという見解もあるが、このとき娘はまだ1か月も経っていない。

 

検査漬けの小さな体を休めてあげたいという気持ちが強かったからだ。

 

僕と嫁は、心のモヤモヤが消えぬまま、我が家に帰る。

帰り道娘は安らかな顔をして眠っていた。

 

 

 

次は、娘の左手のことをまとめます。

 

 

ふり返ってみて

障がい者との触れ合いがあるか。

と聞かれると、多くの人はYESと答えるだろう。

 

僕ももちろんその一人である。

小学校同じクラスであったり、車いすで移動する人と出会ったり。大企業なんかは、障がい者採用枠なんてあったりする。

 

しかし、僕は知っている気になっているだけで、実際、何も知らなかった。知ろうとしなかった。

 

そんな中、障がいを持った子どもが生まれて、僕は先天性の病気を山ほど調べた。

その中には、僕のしらない病気は調べきれないほどあった。

 

中には、生まれた瞬間余命を宣告される病気もある。

 

それは、僕の娘が先天性の病気を持って生まれてきたからこそ知った事である。

 

僕たちが社会で働くこの世界は一見当たり前のように見えるが、見えないところで自分の知らない世界がある。

 

押しつけがましい話かもしれないが、僕はそれを皆に知ってほしいと思ってしまった。

そういう世界があるという事を知ったから。

 

んー、違うな。まとめるのが難しい。

 

何かしてほしいというわけではない。気をつかってほしいとかでもない。

 

そういう家族にも笑顔があって、人生があって。

 

そんな世界も、皆が生きる世界と平等に、同列に見てもらえるとうれしいと思う。

 

これは僕の娘の将来を願ってのことで思った内容です、自分勝手ですね。

 

 

あなたは、かわいそうな人間ではない、堂々としていればいい。

胸を張って生きていける社会であるように、僕は皆にこの世界のことを知ってほしいのだと思う。

 

まとまりが無くて申し訳ない。

 

「落ち着いて聞いてね・・・」嫁が放った言葉

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「帰りたい。おうちに帰りたいよ・・・」

 

 

そう言った嫁は、暫く無言になった後、僕に訂正を入れる。

 

「ごめん、取り乱した」

 

その声はハッキリしていた。

 

子の為に強くあろうとする気持ちと、不安定な気持ちが入り混じっているのだろう。

 

なぜ、今隣で寄り添ってあげられないのか。

 

嫁には及ばないが、僕自身も辛かった。

 

 

GWがあけて、仕事は始まっていたが、僕は会社に連絡してこの日も休みを貰った。

 

 

そして、病院で待つ嫁と娘のもとを急ぐ。

 

娘は、昨日と同じく、呼吸記録の為、足に器具。

そして、腕と足に絆創膏がたくさん貼られていた。

 

嫁は僕が来ることを確認すると、すぐに眠りに付いた。

 

昨晩も眠れなかったのだろう。おつかれさま、ありがとう。

 

 

今日の検査は、血液検査、胸部レントゲン、脳のMRIだった。

 

血液検査に関しては、産まれたばかりは甲状腺の数値が高かったが、数値は通常に戻っていた。

 

胸部レントゲンに関しては問題ないとの事。

 

脳のMRIに関しては、結果は夜になると言っていたので待っていたのだが、

結局、病院の面会時間ぎりぎりまで粘ったが、MRIの結果を僕が聞くことはできなかった。

先生いわく脳のMRIについては「念のためだから」

 

と言っていたので、気にもとめなかった。

 

 

 

そして、その夜、またしても嫁から電話。

 

一言めの言葉に、僕はまたしても放心状態に。

 

「落ち着いて聞いてね・・・」

 

そんな一言目、嫌な予感しかしないよね。

嫁は続けて話しだす。

 

「脳のMRIの結果が出たみたいなんだけど、下垂体のところに白い丸いものが映っているそうなの。」


「詳しいことは、明日、脳外科の先生から説明があるそう」

 

この時、何を話したか良く覚えていないが、僕は朝方までネットで情報を集めていた。

 

最終的に、一つの仮説を立てて僕は携帯を片手に眠りについた。

 

翌日は、午前中職場に顔を出し、事情を話した。

正直、もう何も無いと思っていたので、その日から通常出社するつもりであったが、検査結果を聞くために急遽、午後に休みを貰う。

 

午前中の仕事は何故か捗った。

あらゆる会社の人、先輩、上司、部下が僕に協力してくれた。

 

ありがたい。

 

そんな気持ちの中、僕は病院に向う。

 

 

病院には、妻の母が来ていた。

そして、嫁は僕が来るのを確認して、娘の右手を握りながら眠りについた。

 

僕は、検査結果の時間まで、眠る嫁と娘を見つめながら病室で待機した。

 

そして、来る検査報告。

 

先生は撮影したMRIを見ながら僕たちに語りかける。

 

「場所的に考えられるのは、ラトケ嚢胞か下垂体卒中による出血か腫瘍ですが、たぶんラトケ嚢胞だと思われます。」

 

昨晩立てた仮説どおりだった。

 

タトケ嚢胞は基本的に無害であることを知っていたため、僕は胸をなでおろす。

 

そして、昨晩調べていて気になる病気についてもたずねる。

 

「先生、頭蓋咽頭腫の可能性はありますか?」

ネットの情報ではあるが、頭蓋咽頭腫は厄介な病気。

そして、手術での後遺症が残りやすいというと記載されていた。

 

「可能性は低いですが、頭蓋咽頭腫の可能性もあります。しかし、赤ちゃんの時に頭蓋咽頭腫があるケースはあまり聞いたことが無いです。」

 

「でも小児頭蓋咽頭腫というものもありますよね?」

 

「それはもう少し大きくなってからのケースが多いですね。」

「新生児のMRIをあまり見る機会があまり無いので、念のため小児専門の病院に紹介状を書きますのでそちらでも診てもらってください。」

 

つまり、今は判断できない。

通常、新生児でMRIを撮ることが少ないので、参考資料が少ないのだと言う。

 

この診断結果で、何も分からないということが分かった。

 

検査結果で、いつもよくないことを伝えられていた僕たちにとっては、その分からないと言う回答も良い回答として捉えていた。

 

そしてその後、小児科の先生より、


心身障害者総合病院 脳神経外科
心身障害者総合病院 小児内科 遺伝子
小児保健医療総合センター 整形外科

 

以上3箇所の紹介状を渡された。

そして先生から言われた言葉に、嫁はとても嬉しそうな顔をしていた。

 

「では、退院しましょう!」

 

その後、嫁は嬉しさあまりに涙を流した。

 

さぁ、我が家へ帰ろう。

そして家族3人で一緒に過ごそう。

 

僕たちは、心に残る不安と家に帰れるという嬉しさの気持ちを持って家に帰った。

この長すぎる3日間は、僕たちの体力とメンタルをかなり削った3日間だった。

 

次は、当たり前が当たり前じゃない世界についての話。

健康体なら、まず足を運ぶことの無い心身障害者センターの話。

 

 

振り返ってみて

検査を終えて、とりあえずわが子に対する障がいについて洗い出しが終わったことになる。

まだ、不明確なことは多いが、とりあえずこれ以上は何かしらの問題も出てくる可能性が低いのは確か。

しかし、僕たち家族の笑顔が出産前よりも減っていたのも事実。

この先、僕たちは本当にこの子を育てていけるのか。そんな不安も暫く抱えていた。

 

1年1ヶ月経った今の話。

娘は1歳を迎えたので、再度MRIを撮ることになった。確か先週だったか、そのMRIの結果を聞きに言った。

下垂体というところに白いしこりのようなものが映っていたのだが、1年経った今は特に異常は見られなかった。

しかし、下垂体が少し大きいのでは、と言う見解もあったため、これも経過観察となっている。

その他、娘に異常はなく、成長も順調。いまだに「ママ」は言うのに「パパ」と言ってくれないのは僕的には辛いのだが、子が順調に育っている姿を見るだけで幸せを感じている。

 

娘に対して一言、言えるなら

早く「パパ」って言ってくれ!

ということだけだろうか。

 

 

極限状態で緊急入院。

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先天性心臓疾患を告げられ、嫁のメンタルはかなりガタガタだった。

 

子供が生まれたとき、嫁はかなり強かったイメージがあったのだが、その時は命に別状は無かったからということが大きかったからだろう。

 

そこにきて、命に関わる問題が浮上してきた。

さすがの嫁でもすぐに受け入れることはできない。

 

また、娘の左手のことがおそらくきっかけになったのであろうが、嫁は一時的な「マタニティー・ブルー」になっていた。

自分がどうありたいかの意思に反し、涙はこぼれ、ひょんなことでマイナス思考に。

 

そんな状態で告げられた言葉に、うまく対応できていなかった。

 

そんな中、僕は先生に問いかける。

 

「呼吸数が1分間に100回近くあります」

 

そう話すと、先生は少し困った顔をして娘を診た。

 

軽く触診して一言。

 

「この症状で、それだけの呼吸数にはなりません。」

 

「他に、何かの要因があるか直ぐに調べた方がいいですね。」

 

・・・まだ何かあるのか。

先天性四肢欠損と、先天性心臓疾患を2つも抱えた小さな身体に、まだ何かあるのか。

もう恐怖しかなかった。

 

それでも、娘の命が関わっているんです。

調べないわけには行きません。

 

娘はすぐさま、小児棟に連れられ、僕たちもその後ろを付いていく。

 

検査は、1日では終わらないらしく、3日ほど 病院に泊まることに。

 

そして、病院から言われたのが

 

「病院に泊まれるのはお連れ様一人だけです」

「母乳が出る、奥様のみになります。」

 

こんな状態の嫁だけを泊まらせる訳にはいかない。

僕は必死に一緒に泊まれるようにお願いした。

 

「お気持ちは分かりますが、規則ですので・・・」

 

看護師さんは悪くないのだが、不安そうな顔をしている嫁を見て、何で病院は分かってくれないのか。
不安からイライラしていた。

 

散々ごねた後、病院の規則に従い、嫁の着替えを取りに家に戻った。

少しだけ時間の融通を聞いてもらった。

 

そして、病院に戻り、帝王切開で切ったお腹をさする嫁に別れを告げて病院を出た。

 

そして翌日、娘の検査が始まる。

 

足には24時間呼吸数を測る装置を付けられ、被爆の可能性があるため新生児には通常行わない脳のMRIも撮った。

そして、血液検査では何度も注射を打った。

 

その都度、娘は大泣きしていた。

嫁は、遠くで聞こえる娘の泣き声を聞いて、泣いていた。

 

しかし、僕たち両親は、娘が検査で手元から離れるたびにホッとしていた。

親として失格なのかもしれないが、もう何もかもが不安だった。

 

寝ている娘を見て、息をしているのか。

自分が寝ている間に死んでいるんじゃないか。

泣いていれば、どこかが痛いのではないか。

 

24時間、娘の行動全てが不安だったのだ。

 

そんな中、検査であっても安心して任せられるお医者様に預けるというのは、唯一の安心できる時間でもあった。

 

そんな状態にも関わらず、僕は嫁を残して、家に帰る。

 

そして、ダブルベッドで一人横たわって色々と考えた。

 

これまでのこと。

そして、これからのこと。

 

答えのないことをグルグル考えていると、夜遅くに嫁からの着信。

 

嫁が言った言葉で、僕は胸は痛くなった。

 

「帰りたい。おうちに帰りたいよ・・・」

 

そう言った嫁の声は小さく、震えていた。

 

 次の記事では、また新しい問題が出てきた話。

これは現実なのか?夢なのか?もう意味がわからなかった。

 

 振り返ってみて

産まれたばかりの嫁とは打って変わって、嫁のメンタルはズタボロでした。

 

そんな嫁を見ながら、一人しか泊まれないという現実を受け、僕は出産時に脊髄注射で扉の外に出された時と同じような無力感を感じていた。

 

いやーホント辛かった!ハッハー!

 

と今では夫婦で笑いとばせる話にはなっているが、その地獄のような時を二人で乗り越えたからこそ、今の夫婦の絆があるのだと思う。

 

 

先に娘の経過として書いてしまうが、今、娘は1歳1ヶ月を迎えたのだが、3つあった心臓の穴は2つ塞がり、残り一個は少しずつではあるが小さくなってきている。

そして、問題の弁奇形なのだが、こちらについては直ぐに人工弁の手術が必要、という訳ではなく、今のところ成長曲線もど真ん中なので経過観察となっている。

しかし、相変わらず血液の逆流は変わっておらず、経過観察として数ヶ月に一回、心臓のエコー検査を行っている。

 

心臓に3つの穴、それと弁に奇形が見られます。

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母子共に退院して、2ヶ月前に購入したわが家に帰る。

 

3日間くらいか。

娘は大きな病院での検査を控えていることも分からずに

他の赤ちゃんと変わらず、泣き、笑い、一生懸命生きようとしている。

 

ただ、先回のブログにも書いたが、気になることがあった。

 

呼吸数が多いこと。

 

最初は気にしていなかったが、検査の日が近づくにつれ、さらに気になるようになってきた。

 

1分間に100回ほど。

 

通常だと30-40回程度らしい。

しかし、異常として見られる陥没呼吸や呻吟は見られない。

 

ただただ、呼吸数が多かった。

 

 

 

嫁は退院してからも、帝王切開の傷口もあり動くのが辛そうだったので、子供の世話は分担し、買い物等はメモを片手に僕が行っていた。

 

そして来る検査の日。

 

まだ、娘は生後2週間も経っていない中での検査である。

 

娘をチャイルドシートに乗せ、僕と嫁は大きな病院に向う。

 

「初めてのお出かけが、病院だね」

 

なんて冗談を話しながら、僕たちは病院へ向う。

 

心臓受診

 

身体測定とレントゲンを済ませ、大学のお偉い先生のもとへ。

 

ジェルのようなものを娘の身体に塗り、エコーを取り始めた。

 

そして、先生は機器を置くと、心臓の型紙のようなものを出し、僕たちに話しかける。

 

「心臓に3つの穴、それと弁に奇形が見られます」

 

僕たちは、またしても言葉を失った。

  

そして、先ほど出した型紙のようなものを書き始める。

実際のものがこれだ。

 

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説明を受けた実際の型紙

病名は「房室中隔欠損症 」と「僧帽弁閉鎖不全症

 

簡単に説明すると、心臓に穴が開いており、右心室と繋がってしまっている。

そして、血液が流れた後に血流の逆流を防ぐ弁の形状に異常があり、弁が閉まりきらずに血液が逆流してしまう病気。

 

どちらも、後に心臓手術や薬の投与が必要になる可能性がある病気だ。

 

 

僕たちは、手のことをやっと受け入れたはずなのに、追い討ちをかけるように不安がのしかかる。

 

暫く放心状態だった嫁の隣で、僕は先生に語りかける。

 

「それで、娘は大丈夫なのでしょうか?」

 

「今のところ命に別状はありませんが、心臓疾患は肺の血管が大きくなるタイミングが一番危険です。」

 

「場合によっては、人工弁への手術、または薬の投与が必要です。」

 

この世は理不尽だ。

そんなことを思った。

 

なぜこの小さな身体に、そこまでの負担をかける?

 

代われるなら代わってやりたい。

心の底からそう思った。

 

そして、ここからさらに絶望を味わうことに。

次は、ここから検査の為、緊急入院になった話。

 

振り返ってみて

 まぁ辛かった。この言葉に尽きる。

僕の友人もひとり生まれたとき心臓に穴があいていた子がいる。そのお母さんとも小さい頃から仲が良かったので、その話を聞いたことがある。

 

今ではその友人は心臓の穴もふさがり、結婚もし子供もいるので大丈夫なのだが、産まれた当時はそのお母さんは自分を恨んだとも言っていた。

 

なぜ健康な身体で産んでやれなかったのか。そんなことをずっと考えていたらしい。

 

そしてわが子に話しは戻るが、それだけの大きいことが3つも。そして弁の奇形ときた。

 

心臓の穴については、ぶっちゃけ穴が塞がる可能性があったので、すがり所はあったのだが、問題は弁の方。

産まれ持つ“形状”に関しては、手と同じでどうしようもない。死ぬまで付いてまわるものである。

 

もし、人工弁を入れるとなると、定期的な心臓手術で身体の大きさに合わせて入れ替える必要がある。

その都度、胸を開き、傷を残し、薬を飲み続けなければいけないということを考えると、胸が苦しくなった。

 

 ※もし、このブログを読んでいる方で、人工弁を入れている方やこれからその予定がある方にとっては、大変失礼な内容です。お気を悪くされておりましたら、申し訳ございません。子を案ずる親の気持ちとしてご理解いただけると恐縮です。

娘だって、普通の赤ちゃんです。

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僕は丁度、GWだったので病室の少し固いソファで寝泊りしていた。

そして、嫁はまだ絶対安静のため横目で赤ちゃんを見るしかできていなかった。

 

今か今かと待ち望み、餌を待つ雛のように赤ちゃんを手に抱ける瞬間を待っていた。

 

そして、ようやく嫁の絶対安静が解除されて、固定具を外した。

 つまり、嫁が始めて赤ちゃんを抱けるようになったという事。

 

娘は生まれたときよりも少し顔は引き締まり、ほんの少しだけですが女の子らしくなっていた。

 

そして、ようやく娘は母の腕の中に。

 

嫁は嬉しそうにしばらく赤ちゃんを抱いていた。

 

「顔は泣いたらガッツ、寝たらひふみんだね」

 

と冗談交じりで言ったら、本気で怒られた。

 

ここからは、普通のプレパパとプレママ。

泣く子にあたふた。吐いちゃって大慌て。

白目むいてびっくり。息をしてるか確認してみたり。

 

ほんとに普通の子育てに奮闘していた。

そしてあっという間に退院の日。

 

退院の日、先生が畏まって話しがあると僕たちの病室へ入ってきた。

 

そして赤ちゃんを診察しておもむろに口を開いた。

 

「お子さんの心臓音に雑音が混じってます。」

 

「え・・・」

「え・・・」

 

 

 

 

僕と嫁は一瞬何を言われたのかを理解できていなかった。

子供の身体のことを受け入れ、立ち向かっていこうと決意した矢先の話だったので、不意に入ってきた言葉に対応できていなかった。

 

「紹介状を書きます」

 

先生はそう言って、病室を出た。

僕たちは暫く無言だった。

 

僕は「赤ちゃん 心雑音」でインターネット検索する。

 

そうすると、ヒットしてきた内容が下記だ。

「30~70%の赤ちゃんに心雑音はある」

 

正直ホッとした。

 

「神様はそこまで残酷じゃないよ。きっと大丈夫!」

 

僕はそう嫁に言って、気にすることを辞めた。

 

そして、嫁が手作りしたおくるみを赤ちゃんに着せ、僕たち家族は病院を後にした。

 

あの時は幸せだった。

翌週、緊急入院になるとも知らずに。

 

次の記事は、家に帰って一家みずいらずで過ごすも、直ぐに病院に入院となった娘の話。

 

振り返ってみて

赤ちゃんを抱いた嫁の顔は本当に嬉しそうでした。

そして、帝王切開だったためか移動は常につらそうでした;

 

子育てのほんの一部を切り取ったに過ぎないが、病院内であっても子育てはとても大変でしたね。

寝ることもままならないし、ミルクもちゃんと飲めないし。

何かある事にクタクタになった僕たちは、助産師さんたちに赤ちゃんをみてもらえる時は毎回ホッとしていたのを記憶しています。

 

仕事で、子供を持つ後輩・部下がいるのだが、子供が生まれてからは子育てと育児を両立している姿に本当に尊敬した。

そして、仕事では上司・先輩だが、子育てにおいては僕が後輩。

先輩たちに子育てについていろいろ聞きながらパパトークを繰り広げている。

 

心臓の雑音については先生から言われてかなり動揺していたが、ネット検索を見てからは最初はあまり気にしていなかった。

紹介状で、大きな病院で確認するのも「念のため」程度で、どうせ病院の先生は最悪のケースを伝えるだけだろう、なんて考えていた。

しかし、一つ気になることといえば、ネットに「呼吸数」だった。

「心臓に疾患がある場合は呼吸が速くなる。」

言われてみれば早い気がしていた。

 

とにもかにくにも、僕たちはそんなことを考える暇もなく、子育てに夢中だった。

障がいの事を告げられた知人の反応。

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僕自身の両親、そして友人に子供が生まれたことを告げる。

 

 

なんて話せばよいか。

子供の身体のことを伏せたほうがいいのか。

 

いや、僕なら親しい仲なら全て教えてほしい。

 

そう思って、ありのままを伝える。

 

親しい友人も、両親も、今日生まれるであろうことは告げていた。

 

 

みな、一言目はお決まり。

 

「産まれた!?」

 

そして僕は答える。

 

「産まれたよ。でも、五体満足で生まれることはできなかった。」

 

そう伝える僕自身は、不思議と冷静だった。

思うところはあるし、不安定だったとも思うけど何も臆することなく普通に話せたのが以外だった。

 

「・・・」「嘘でしょ!?」

 

反応はだいたいこんな感じ。

そりゃそうだよね。でもね、ホントなんだよね。

 

しかし、みんな最後には

 

「おめでとう」

 

そう言ってくれた。

 

それが嬉しくて嬉しくて、僕は真っ先に娘に会いに行った。

 

「みんなおめでとうって言ってたよ」

 

娘は、スヤスヤと眠っていたけども、気にせず僕は娘に語りかける。

 

あなたは産まれてきてよかったんだよ。みんな祝福してくれてるよ。

そう思えるのがたまらなく嬉しかった。

 

僕の友人の奥さんと話した内容なのだが、とても素敵な言葉がある。

 

「産まれてくることが奇跡。もしかしたら、何か異常があるとお腹にいるときに亡くなってしまうことは多いと思うの。」

「それでも産まれてこれたのは、赤ちゃんが生きようとしたこと、何よりお母さんとお父さんががんばったから。」

「何も恥ずかしがることは無い。五体満足で産んであげたかったとも思わなくていい。今の姿でなければ、それは性格も人生も違う子になってしまう。」

「今、そこに産まれた子を真っ直ぐ見てあげて」

 

この言葉はね、是非同じ境遇の人に伝えてあげたいと思う。

今も自分の中の弱い部分を支えてくれている言葉です。

 

 

 

次のブログは、初めての子育てについての話を書こうと思う。

そして束の間、新たな問題でどんどん追い詰められていくことに。

 

 

振り返ってみて

両親/知人に電話をすることは、難しかったが苦じゃなかったのは、もちろん信頼できる相手だったこともあるが、嫁の反応を見ていたことが大きかったとも思う。

皆、気遣って必死に励まそうとしてくれる気持ちはとても嬉しかった。

しかし、あの時の僕には、正直な話 響かなかった内容もおおかった。

 

 

「それは一つの個性だよ」

「育てられる温かい家庭だから、そういう子が産まれたんじゃないかな」

かもしれない。けど、そうじゃない方が絶対いいよね。

 

別に僻んでいた訳ではない。ただただ、娘の将来が不安だっただけ。

言葉は嬉しいよ。けど、娘は大きくなったとき、その言葉で納得がいくのかな。すべてが娘目線で物事を考えていた為、素直に喜べない自分がいました。

 

そんな中、先に書いた友人の嫁の話がとても響いた。

特に、この部分。

「今の姿でなければ、それは性格も人生も違う子になってしまう」

 

一年経った今現在も、僕たちはいろいろな病院に通っている。
そこで、娘はいろいろな検査を繰り返している。

ハイハイも出来なければ、両手でパチパチ拍手することもできない。

両手でマグカップを持って飲むこともできなければ、両手で遊ぶことも出来ない。

それでも、少しずつ大きくなって、僕たちに微笑みかける。

「ママ」と言ったり、「わんわん」と言ってみたり。

「いいかげん“パパ”も言いなさい」と僕がスネて、嫁が笑っていたり。

 

今幸せなんですよ。今の娘じゃなきゃだめなんです。

 

でもその時に、「五体満足だったらな」なんてことは思わない。

今の娘に障がいがあるのなら、僕たちはそのままの娘を真っ直ぐ見て受け入れよう。

あの言葉が心の支えとなって、僕たち家族は強くなっているのだと思う。

左腕の無い、わが子を見た嫁の反応。

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助産師さんにお願いして、わが子を僕たちの元へ。

 

目を真っ赤にした両親の部屋に、眠っているわが子が運ばれてくる。

初めて家族3人で対面する瞬間である。

 

助産師さんに添い寝させてもらった嫁は

絵に描いたような幸せいっぱいの顔だった。

 

 

もちろん手のことも、全て把握した状態で

 

「かわいい」

 

と言った。

 

 正直、とても安心した。

そして、同時に自分が恥ずかしくなった。

 

将来のことばかり考え、悲観し、今生きている我が子をまっすぐ見てやれてなかった自分。

娘の誕生を素直に喜べななかった自分。

 

嫁の嬉しそうな顔を見て、僕は色々なことを考えた。

 

大丈夫。嫁と一緒なら、この子を育てていける。

  

 

その後、僕は初めてわが子に言う事が出来た。

 

「生まれてきてくれてありがとう。」

 

そして、僕は初めてわが子を抱いた。

 

 

 

次回は、産まれた子を両親や友人、会社の人に報告する話。

子供の身体のことを伝えるという難しさ。反応の怖さ。

 

振り返ってみて

この時のことも鮮明に覚えている。

嫁が子を見てショックを受けたらどうしよう。自分だけはしっかりしなければ。

そんなことをずっと考えていた。

いつも、一歩引いたところで僕についてくるような嫁だったので、今回の現実を付き付けられた嫁の反応には正直驚いた。

ぶっちゃけた話、嫁は話しを聞いて泣き崩れると思っていた。

 

でも実際は、僕が泣き崩れてしまった・・・。

 

嫁は、子供の身体のことをすぐさま受け入れ、喜んでいた。

あの顔に強がっているとかそういう気持ちは無かったと思う。

純粋に“幸せ”という気持ちで溢れていたと思う。